褒めて伸ばす育児と褒められて伸びる育自。
どうも、柚木ゆうら(@yzk0829)です。
ようやく地元でも桜が咲き始めました!
天気が良いとふらっとカメラ片手に、桜のあるところへ出没しています。
昼間のソメイヨシノもしだれ桜も、夜桜もうっかり満喫してしまった。
今年の桜はもういいんでないかい?ってぐらい、桜充してます。
葉桜や、散った桜も美しいので今年は桜の終わりまで追いかけますよ!(謎の決意)
去年は兄弟の入園などもあって、この時期じっくりと桜を愛でている暇もなかった。
その反動だと思っています。今年は二人とも進級しただけなので、わりと穏やか。
春は変化の季節。環境の変化に子どもたちは?
年長さんになった長男は、去年が嘘のような立ち振る舞い!
自分で時間を見て支度をはじめ、ゆっくり支度している次男を「ほら、いくよ!」なんて先導する姿も。
登園時に先生がいなくても自分で教室に向かえるようになった長男。「年長さんになったら、ぼく大丈夫だよ」という言葉を信じてここまできた。子どもなりのタイミングや、切り替えスイッチがある。それを無下にしないように見極めたい。
— h@rk (@yzk0829) 2017年4月10日
彼なりのタイミングがあったんだろうな、と成長を受け止めています。
年長になるという「きっかけ」が、長男をより成長させたのだろうと。
その成長のためには、去年の登園前のぐずぐず期も必要だったんだろうなと思います。
年中になってから、次男のほうが登園前にぐずるようになった。クラスも分割されて、新しい教室になって、彼なりに環境の変化を受け止めている途中なのかなーと思う。先生に話を聞いたところ、クラスでは相変わらずお調子者らしいので朝だけ…と受け止めたい。
— h@rk (@yzk0829) 2017年4月10日
逆に、次男のほうが登園前に「いきたくないなー…」なんて言うように。
どうやら登園前だけのローテンションで、園についたら普通に友達とも遊んでいるし、はしゃいでいるらしい。
クラスで楽しく過ごせているのなら、登園前の甘える姿ぐらいどーんと受け止めたい所存。
なんとなく、行くまでが憂鬱なだけかもしれない。お家が好きなだけかもしれない。
大人にもそういう時、あるもの。
吹っ切れる日を、心待ちにしていようと思う。
褒められると嬉しいのは大人も子供も、いっしょ
環境が変わったり、新しい人間関係が築かれたりと、目まぐるしい4月。
変化に追われて、大人も子供も少し不安定になってくるのが4月半ば~5月にかけて。
新しいことが次から次へと襲ってきて、疲れてへろへろになってしまう時もあります。
そんな疲れた心を救ってくれるのが、「褒める」という行為。
どんな些細なことでも、褒めるポイントを見つけてあげると相手も喜ぶし、なぜか自分も嬉しくなります。
褒められていやな気持ちになる人は滅多にいないし、純粋に嬉しそうな人を見ていやな気分になる人も滅多にいないからかな。
別に特別なことを見つけて、わざわざ褒めなくたっていいんです。
日常にありふれた、ちょっとしたことを褒めポイントにすると、優しい気持ちになれますよ~。
…しかし、簡単なことでも「すごいね~」「かっこいい!」なんて褒めていたからか、子供たちの他人に対する褒めハードルも下がっている気がするこの頃。
新しいポケモン捕まえると「ママすごい!やったね!えらーい!!」と褒めてくれるので、出先でわりと新ポケモン探しに勤しんでいる。
— h@rk (@yzk0829) 2017年3月9日
4歳児「ママかわいいね」
— h@rk (@yzk0829) 2017年3月3日
私「えっ(嬉しい)」
4歳児「ママお耳がでかくてかわいい」
私「え…(困惑)」
耳のサイズを褒められたのは人生で初めてです!ちなみに耳のサイズは標準かやや標準より小さめだと思うんだけどな…
大人になるにつれ、誰かに褒めてもらえることって少なくなるから、些細なことでも褒められると嬉しいよね。
褒める行為が、こうやって返ってくると好循環だなとしみじみ思う。
「大人だからできて当たり前」「お兄ちゃん(お姉ちゃん)だからできて当たり前」って言葉は、あまり好きじゃない。
ある意味、呪縛めいた言葉だから。
できたことは、「よくできたね」って素直にはなまるあげられるような大人でありたいし、人間でいたいなと思います。
「褒められたかったら、まず自分が褒めよう。」
そんな精神で、育児と育自に勤しみますかっと!